小泉八雲とは何者?怪談を生んだ異邦人の驚愕の真相を徹底解説
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小泉八雲(本名:パトリック・ラフカディオ・ハーン / Patrick Lafcadio Hearn)は、1850年6月27日にギリシャ西部のレフカダ島で誕生しました。アイルランド出身の軍医である父チャールズと、ギリシャ人貴族の娘である母ローザの間に生まれたハーンですが、幼少期に両親が離婚。親族の間を転々としながら育つ過酷な少年時代を過ごしました。
16歳の時に遊戯中の事故で左目を失明し、極度の強度近視となった右目を酷使しながら独学で文学と語学を修得。19歳で単身アメリカ・シンシナティへ渡り、印刷工や通信社記者として頭角を現します。ニューオーリンズや仏領西インド諸島(マルティニーク島)で先住民族の伝承やクレオール文化を取材し、異文化の深層を掬い取る優れたルポルタージュを次々と発表しました。
1890年4月、アメリカの出版社の特派員として40歳で横浜へ来日。当時、急速な西洋化・近代化を推し進めていた東京の喧騒を離れ、古来の日本の姿が色濃く残る山陰地方に惹かれた八雲は、島根県尋常中学校(現・松江北高校)および島根県尋常師範学校の英語教師として赴任します。この松江の地こそが、彼のその後の人生と文学的業績を決定づける舞台となりました。