藤圭子と母の絶縁真相|生い立ちとヒカルへ連鎖した家族の傷
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実母との縁を断ち切り、アメリカへ渡った藤圭子は、音楽プロデューサーの宇多田照實と出会い再婚します。1983年に生まれたのが、のちの国民的アーティストとなる娘・宇多田ヒカル(本名・光)でした。しかし、母との間に刻まれた愛憎のトラウマは、皮肉にも次の世代へと形を変えて連鎖していきました。
家庭内では、夫婦間の衝突が絶えませんでした。藤圭子と宇多田照實は、メディアで報道されただけでも通算で6〜7回にも及ぶ「離婚と再婚」を繰り返しています。この異常とも言える宇多田照實との離婚原因には、激しい気性の衝突に加え、後述する藤圭子の精神的な不安定さ、そしてマネジメントを巡る家庭内の主導権争いがありました。
そして1998年、弱冠15歳の宇多田ヒカルが「Automatic」で社会現象を巻き起こすと、力関係は決定的に変化します。かつて自分が経験した「若くして莫大な富と名声を得る」という過酷な運命を、今度は娘が歩み始めたのです。藤圭子は娘の才能を誰よりも誇りに思う一方で、照實とヒカルが音楽的パートナーシップを強固にしていく中で、次第に疎外感を深めていきました。
感情の起伏が激しくなった母は、娘に対して異常なまでの過干渉や突発的な攻撃性を見せるようになります。娘・ヒカルのプライベートや金銭管理に対して激しい干渉を繰り返す母。ヒカル側も当初は母の苦しみを理解しようと寄り添い続けましたが、家庭環境の維持は限界に達し、最終的にヒカル自身もまた、実の母から物理的・精神的に距離を置かざるを得ない宇多田ヒカルと母親の絶縁という苦渋の決断に至ったのです。