美川憲一『柳ヶ瀬ブルース』はなぜ社会現象に?誕生秘話と衝撃の真相
美川憲一『柳ヶ瀬ブルース』はなぜ社会現象に?誕生秘話と衝撃の真相についての真相をご紹介します。
発売当初、レコード会社側は地方の歓楽街を題材にしたローカルソングに過ぎないとして、大規模な宣伝を打っていませんでした。しかし、岐阜や名古屋の有線放送から火が点き、夜の社交場やスナックを通じて全国へ口コミが拡散。最終的な売上枚数は公称120万枚を突破し、ミリオンセラーを記録する社会現象へと発展しました。
その熱狂的な支持を受け、1967年には東映が同名映画『柳ヶ瀬ブルース』を製作・公開します。監督を飯塚増一が務め、主演には当時「夜の青春シリーズ」などで絶大な人気を誇っていた梅宮辰夫を起用。美川憲一自身も流しの歌手役として劇中で歌唱シーンを披露し、映像メディアとのタイアップによって楽曲の人気は不動のものとなりました。
さらに1968年(昭和43年)、美川憲一はこの曲で念願の『第19回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たします。デビュー以来の苦節を乗り越え、国民的歌手としての地位を確立する決定的な契機となりました。