矢沢永吉と舘ひろしの絆と真相!親衛隊秘話から現在の交流まで徹底解説
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1970年代初頭の原宿・表参道。まだ歩行者天国が始まる前のストリートを、漆黒の革ジャンと大型バイク(ハーレーダビッドソンなど)で疾走する集団がいました。それが、舘ひろしをリーダー(ボス)とし、岩城滉一が副リーダー格を務めた総勢21名のモーターサイクルクラブ「クールス(COOLS)」です。
当時のクールスは単なる暴走族ではなく、洗練されたアメリカン・カルチャーと独自の美学を持つエリート不良集団でした。チームに入るには厳しい審査があり、「黒の革ジャン」「黒のバイク」「長髪禁止」といった徹底したルールが存在したことで知られています。
そんなクールスが衝撃を受けたのが、1972年に彗星のごとく現れた矢沢永吉率いるロックンロールバンド「キャロル(CAROL)」でした。革ジャンにリーゼント、日本語を英語風に乗せる画期的なロックサウンドに、舘ひろしをはじめとするクールスのメンバーは強烈なシンパシーを抱きます。
キャロルの人気が過熱するにつれ、会場には暴徒化したファンや対立グループが押し寄せるようになりました。そこで立ち上がったのがクールスでした。舘ひろしらは自発的にキャロルの親衛隊を結成し、ステージの警護や移動時のボディガードを買って出たのです。当時の関係者や自著の手記によると、彼らは金銭目的ではなく、純粋に「キャロルという存在と矢沢永吉のロックに惚れ込んでいた」からこそ、身体を張ってステージを守り抜いたと証言されています。
その頂点となったのが、1975年4月13日の日比谷野外音楽堂における「キャロル解散コンサート」です。ファンがステージへ雪崩れ込むのを最前線で体を張って阻止し、伝説となった舞台炎上劇の混乱の中でも、舘ひろし率いるクールスは最後まで親衛隊としての任務を全うしました。