大逆事件とは何か?幸徳秋水ら処刑の真相と国家が仕組んだ冤罪の闇

大逆事件とは何か?幸徳秋水ら処刑の真相と国家が仕組んだ冤罪の闇とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。

事件の発端は1910年5月25日、長野県明科(現・安曇野市)の製材所に勤めていた宮下太吉が、爆発物取締罰則違反の容疑で検挙されたことでした。宮下は天皇を人間とみなす平民主義に傾倒し、新村忠雄、古河力作、管野スガの3名とともに、天皇暗殺用の爆弾を試作・所持していたのです。

しかし、時の第2次桂太郎内閣と検察当局は、これを単なる過激派の局所的な謀議として処理しませんでした。日露戦争終結以降、増税や格差拡大を背景に高まりを見せていた労働運動や反戦論、社会主義思想を「国体(天皇を中心とする国家体制)を揺るがす根源的脅威」と危険視していた政府は、この爆発物事件を千載一遇の好機と捉えたのです。

当時の司法省と警察上層部は、指導者的存在であった思想家・幸徳秋水をはじめ、日本全国の社会主義者・無政府主義者を芋づる式に検挙する方針を決定。計画を全く知らなかった地方の活動家や僧侶、医師に至るまで全国から数百名を拘束し、最終的に26名を「刑法第73条(大逆罪)」の共同謀議者として起訴しました。これが、国家による社会主義者弾圧の決定打となった大逆事件の幕開けです。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

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