青色Led特許訴訟の真相|200億円判決と8億円和解の全舞台裏
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1980年代後半、当時地方の一化学メーカーに過ぎなかった日亜化学工業において、中村修二氏は青色LEDの実用化に向けた研究開発を孤独に進めていました。当時、世界の有力研究機関がセレン化亜鉛(ZnSe)を本命視する中、中村氏は結晶作製が極めて困難とされていた窒化ガリウム(GaN)にあえて着目。自ら配管を溶接して改造した成膜装置(ツーフローMOCVD、通称「404特許」)を用いて、高品質な単結晶薄膜の成長に成功しました。
このブレイクスルーにより、日亜化学は世界初の実用的な高輝度青色LEDを市場へ投入。同社は世界シェアを瞬く間に席巻し、売上高数百億円規模から急成長を遂げることになります。しかし、この歴史的偉業の裏で、開発者個人と企業組織の間に決定的な亀裂が生じていました。
当時の日亜化学の社内規定に基づき、中村氏に支払われた特許出願報奨金は1件あたりわずか約1万〜2万円程度でした。中村氏は自著や当時の手記において、「数千億円規模の利益を会社にもたらしながら、個人の貢献がスズメの涙ほどしか報われない不条理」に対する激しい憤りを告白しています。
1999年に中村氏は日亜化学を退職し、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)の教授へ転身。しかし、米クリー社との共同研究を巡り、日亜化学側が企業秘密漏洩を理由に米国で提訴したことを受け、2001年8月に中村氏が東京地方裁判所へ「404特許の特許権帰属確認および職務発明の対価請求」を起こす反訴に踏み切ったことで、前代未聞の泥沼法廷闘争が開幕しました。