『海に眠るダイヤモンド』は実話か?軍艦島の史実とモデルの真相を徹底解明
『海に眠るダイヤモンド』は実話か?軍艦島の史実とモデルの真相を徹底解明についての真相をご紹介します。
端島が「軍艦島」と呼ばれるようになった所以は、周囲を巨大なコンクリート岸壁に囲まれ、高層住宅が立ち並ぶそのシルエットが旧日本海軍の戦艦「土佐」に酷似していたためです。当時の島民たちの手記や回顧録を紐解くと、ドラマ以上のドラマチックな生活が浮かび上がってきます。
1916年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパート「30号棟」をはじめ、島内には病院、小中学校、映画館、パチンコ店、寺社、さらには屋上庭園まで完備されていました。島全体がひとつの巨大な家族のようなコミュニティを形成しており、玄関の鍵をかける家は皆無だったといいます。
一方で、台風来襲時の脅威は想像を絶するものでした。外海からの高波が防波堤を軽々と超え、アパートの低層階を直撃する光景は日常茶飯事でした。元島民の手記には「台風の夜は波が窓ガラスを割り、塩水が廊下に滝のように流れ込んだ」「それでも炭鉱夫たちは翌朝には何食わぬ顔で海底深くへ降りていった」という生々しい告白が残されています。
海底炭鉱の労働は常に落盤やガス爆発事故の危険と隣り合わせであり、一度事故が起きれば「一蓮托生」となる運命共同体でした。危険手当を含めた給与は当時の大卒初任給の数倍に達し、それが島内の急速な近代化と高い購買力を支えていたのです。