なぜ伊香保に旧ハワイ王国公使別邸が?官約移民の歴史と見どころ

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「なぜ伊香保温泉にハワイ王国公使別邸があるのか?」という問いを紐解くには、明治初期の国際情勢と、国家存亡の危機に瀕していたハワイ王国の切迫した事情に目を向ける必要があります。

19世紀後半、カメハメハ王朝が統治していたハワイ王国は、欧米列強による植民地化の圧力と、白人が持ち込んだ感染症による先住ハワイアンの人口激減という二重の危機に直面していました。主幹産業であるサトウキビプランテーションの労働力は枯渇寸前に陥り、国家としての独立を維持するため、アジアからの健全な労働者受け入れが急務となっていたのです。

この状況を打開すべく、1881(明治14)年に世界一周の途上で来日したのが、第7代ハワイ国王デイヴィッド・カラカウアでした。国家元首として初めて日本の土を踏んだカラカウア王は、明治天皇と会談。日本とハワイの連帯を熱心に呼びかけ、皇族と王女カイウラニの政略結婚の提案や、日本人労働者のハワイ移住を公式に要請しました。

この外交交渉を実務面で引き継ぎ、政府間協定に基づく労働移住、すなわち「官約移民の歴史」を切り拓いた人物こそが、アメリカ出身の貿易商であり、のちにハワイ王国の特命全権公使を務めたロバート・ウォーカー・アルウィン(Robert Walker Irwin)です。

アルウィンは外務卿(のちの外務大臣)井上馨と深い親交を結び、日本側の信頼を一身に集めました。1885(明治18)年、第1回官約移民船「シティ・オブ・トウキョウ号」が横浜港からホノルルへ向けて出航。1894(明治27)年までに26回にわたり、約2万9,000人もの日本人がハワイへと渡航することになります。

激務を極めたアルウィンが、疲れた心身を癒やす避暑地として選んだのが伊香保温泉でした。当時の横浜や東京の外国人コミュニティでは、日光や軽井沢と並び、榛名山麓の豊かな自然と良質な湯を誇る伊香保が高く評価されていました。アルウィンは1890年代初頭、伊香保の景勝地に別邸を構え、毎年のように夏の数か月を家族とともに過ごしたのです。これが、現代の伊香保にハワイ王国の記憶が刻まれることになった歴史的経緯です。

石川 優花

石川 優花

インテリア&ライフスタイルコーディネーター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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