和を以て貴しとなすの真意とは?仲良しこよしを否定した聖徳太子の教訓

和を以て貴しとなすの真意とは?仲良しこよしを否定した聖徳太子の教訓についての疑問解決ガイドをお届けします。

SNSやネット掲示板の言論空間を観察すると、「和を以て貴しとなす」という言葉が、都合の悪い批判を封殺する口実として悪用される場面が散見されます。

「空気を壊すな」「目上の人に反対意見を言うのは和を乱す行為だ」という論理は、伝統的な日本精神の美名のもとに展開されがちです。しかし、組織社会学や心理学の観点から見れば、これは健全な調和ではなく単なる「集団浅慮(グループシンク)」や「同調圧力(Peer Pressure)」に過ぎません。

聖徳太子自身が「人皆党有り、また達れる者少なし(人間は誰しも派閥を作りたがり、物事を正しく見極められる者は少ない)」と看破した通り、人間が集まると自然と内輪の論理や忖度が働きます。だからこそ、「上和らぎ下睦びて、事を論う(立場を超えて意見を戦わせる)」プロセスを不可欠としたのです。

異論を排除して表層的な平和を保つ行為は、聖徳太子の説く「和」ではなく、むしろ十七条憲法が最も厳しく戒めた「党派心」の表れであるという点は、明確に認識しておく必要があります。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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