徳川家光の側室たち!春日局の戦略と男色疑惑の裏に隠された真実
徳川家光の側室たち!春日局の戦略と男色疑惑の裏に隠された真実にまつわる最新トピックを詳しく紐解きます。
江戸幕府の公式記録『徳川実紀』や諸藩の記録『藩翰譜』などを紐解くと、若き日の徳川家光が極端なほど女性を寄せ付けなかった事実が浮き彫りになります。当時、武家社会における男色(衆道)は主従の結束を強める武士道の一環として珍しいものではありませんでしたが、家光の場合は将軍家の血統断絶に直結するレベルの徹底した「女性拒絶」でした。
家光の寵愛を受けた小姓として有名なのが、後に老中へと出世する坂井忠勝の親族や、堀田正盛といった美男子たちです。家光は彼らと起居を共にし、政務の合間も近習の男性たちと親密に過ごすことを好みました。元和9年(1623年)に摂関家から迎えた正室・鷹司孝子(たかつかさ たかこ)とも完全に不仲であり、婚姻後間もなく本丸から「中の丸」へ隔離され、事実上の別居状態が続きました。家光が生涯で孝子の中の丸を訪れた記録は皆無に等しく、正室との間に子が宿る可能性は完全に絶たれていたのです。
家光が30歳を迎えても世継ぎが誕生しない現実に、幕閣や御三家は激しく動揺しました。2代将軍・秀忠が世を去ると、後継者不在による幕府崩壊の危機は現実味を帯びていきます。この異常事態を打開するため、乳母として家光を育て上げた春日局(斎藤福)が、前代未聞の奇策と強烈な権力をもって動き出しました。