力道山夫人・田中敬子の現在と壮絶半生|元JalのCaが背負った真実

力道山夫人・田中敬子の現在と壮絶半生|元JalのCaが背負った真実の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。

田中敬子さんの生い立ちと経歴を振り返ると、昭和の女性としては極めて先進的で自立したキャリアを築いていたことが分かります。神奈川県横浜市出身の彼女は、厳格な警察幹部(元神奈川県警幹部)の家庭に生まれ、何不自由なく教養を身につけて育ちました。

大学卒業後、当時の女性にとって最高峰の難関職種であった日本航空(JAL)の国際線客室乗務員(スチュワーデス)として採用されます。当時のJAL国際線CAは、高い語学力と立ち居振る舞い、知性が求められる花形中の花形でした。当時のアーカイブや雑誌に残る若い頃の写真を見ても、女優顔負けの洗練された美貌と知的なオーラが際立っています。

そんな彼女と力道山の出会いは、羽田発の機内でした。客として搭乗していた力道山が一目惚れし、猛烈なアプローチを開始。厳格だった敬子さんの父親は当初、芸能・プロレス興行の世界に生きる力道山との結婚に強く反対したと伝えられています。しかし、力道山は礼節を尽くして幾度も実家に通い詰め、誠意を示して結婚の承諾を取り付けました。

1963年(昭和38年)6月5日、東京・赤坂のホテルで執り行われた結婚披露宴には、政財界の重鎮から銀幕のスターまで3,000人以上が参列。「世紀の結婚式」としてテレビ生中継され、日本中から祝福を受けました。当時、力道山38歳、田中敬子さんはわずか21歳でした。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest