なぜサッチャーは「鉄の女」と呼ばれたのか?改革の功罪と真相
なぜサッチャーは「鉄の女」と呼ばれたのか?改革の功罪と真相の真相や最新動向に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。
首相退任後のサッチャーは、1992年に一代貴族「ケストーヴェンのサッチャー女男爵」に叙され、貴族院(上院)議員として活動を続けました。しかし2000年代に入ると複数回の小さな脳卒中を発症し、徐々に認知症の症状が進行していきました。2003年には最愛の理解者であった夫デニス・サッチャーが死去。晩年は公の場に姿を見せる機会が急速に減少していきました。
そして2013年4月8日朝、ロンドンの名門ホテル「ザ・リッツ」の一室で、サッチャーは脳卒中のため87歳で息を引き取りました。死因は公式発表により脳卒中と公表されています。
彼女の死は、英国社会の深い分断を再び露わにしました。セント・ポール大聖堂で行われた葬儀は、軍の儀仗隊が棺を警護し、エリザベス女王をはじめ世界各国の要人が参列する事実上の「国葬級」の儀礼的葬送となりました。一方で、かつて炭鉱閉鎖や工場閉鎖で打撃を受けた北部イングランドやスコットランド、ロンドンの一角では、映画『オズの魔法使』の挿入歌「鐘を鳴らせ!魔女は死んだ(Ding Dong! The Witch Is Dead)」を合唱して祝杯をあげる市民たちのデモが発生したのです。
死してなお「救国の英雄」と「社会の破壊者」という正反対の評価で語られることこそ、彼女が英国社会に遺した爪痕の深さを何よりも証明しています。