高輪皇族邸の現在と知られざる歴史|一般公開の有無から今後の活用まで
高輪皇族邸の現在と知られざる歴史|一般公開の有無から今後の活用までの重要ポイントを解説します。専門的な知識が詰まっています。
港区高輪という都心屈指の超高級住宅街にあって、高輪皇族邸の敷地面積は約19,700平方メートル(約6,000坪弱)という驚くべき広大さを誇ります。この土地が持つ歴史と由緒は、江戸時代初期にまで遡ります。
江戸期、この地には肥後熊本藩・細川家の下屋敷が置かれていました。元禄16年(1703年)、あの忠臣蔵で名高い赤穂浪士四十七士のうち、大石内蔵助良雄ら17名がお預けとなり、切腹を遂げた場所こそがこの邸宅の一角です。現在も敷地内には「大石良雄外十六人忠烈の跡」として東京都の旧跡に指定された遺構と記念碑が大切に残されています。
明治期に入ると皇室の御用地となり、大正期には東伏見宮邸などを経て、昭和6年(1931年)に昭和天皇の弟宮である高松宮宣仁親王の宮邸(旧高松宮邸)となりました。宣仁親王の薨去(1987年)後も、徳川慶喜の孫にあたる高松宮宣仁親王妃喜久子殿下が長年お住まいになり、気品ある文化活動や国際親善の場として愛されてきました。2004年に喜久子妃殿下が92歳で薨去されて以降、宮家としての高松宮家は断絶となり、邸宅は宮内庁の直轄管理へと移行したという歴史的文脈を持ちます。