関ヶ原・島津義弘陣跡の全貌|前代未聞の敵中突破と現地巡礼ガイド
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陣跡を突破した後の島津の退き口ルートは、戦国史上もっとも苛烈な敗走劇の軌跡です。東軍の猛追を受ける中、甥の島津豊久や重臣の長寿院盛淳らが身代わりとなって討ち死にを遂げ、義弘本隊を逃がすための犠牲となりました。
烏頭坂(うとうざか)で豊久が奮戦して井伊直政に重傷を負わせ、牧田上石津を経て伊勢街道へと抜ける山道を進みます。駒野峠を越えて堺へと脱出した際、当初1,000人以上いた部隊はわずか80名余りにまで減っていたと記録されています。現在の上石津地域には島津豊久の墓(瑠璃光寺・烏頭坂)が整備されており、陣跡と合わせて巡ることで、その撤退劇の凄絶さをより深く追体験できます。