日本初の銀行はどこ?渋沢栄一の第一国立銀行からみずほへの真相
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第一国立銀行の誕生は、明治政府の官僚であった渋沢栄一が主導した一大国家プロジェクトでした。明治維新直後の日本は、各藩が独自に発行していた藩札や、新政府が乱発した不換紙幣「太政官札」が市場に溢れ、通貨の信用は失墜。貨幣制度の統一と近代的な金融流通の確立が国家存亡の急務となっていました。
渋沢は1867年のパリ万国博覧会随行時にヨーロッパの近代銀行制度をつぶさに観察し、個人の富をプールして大規模な事業へ循環させる「合本(がっぽん)組織」の威力を痛感していました。帰国後、明治政府の大蔵省に入省した渋沢は、伊藤博文らが持ち帰った米国金融制度の調査報告を基に、1872(明治5)年「国立銀行条例」を起草・制定します。
当時の一次史料である自叙伝『雨夜譚』において、渋沢は設立時の生々しい苦闘をこう述懐しています。当時、金融実務を一手に握っていた二大豪商である三井組と小野組に対し、渋沢は「私利を捨て、国家のために力を合わせて銀行を作るべし」と説得を重ねました。互いにライバル関係にあり、単独での銀行設立を望んでいた両替商たちを合流させ、資本金250万円(当時)を集めて誕生させた組織こそが第一国立銀行でした。渋沢は銀行設立を見届けると大蔵省を辞職し、自ら総監役(のち頭取)に就任して民間人として日本の金融インフラの指揮を執ることになります。