渡辺錠太郎と二・二六事件の真相|娘が語る最期の瞬間となぜ狙われたのか
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渡辺錠太郎は1874(明治7)年、愛知県小牧市(旧春日井郡)の農家・和田武右衛門の次男として生まれました。幼少期に菓子商を営む渡辺庄兵衛の養子となり、刻苦勉励の末に軍人の道を志します。陸軍士官学校(第8期)を優秀な成績で卒業後、陸軍大学校(第17期)を首席で卒業(恩賜の軍刀を拝受)。陸軍内でも屈指の頭脳派として頭角を現しました。
日露戦争に従軍した後は、ドイツやオランダへの海外駐在武官、参謀本部での勤務を歴任。ヨーロッパの先進的な軍事技術や社会構造を肌で学んだ渡辺は、精神論に傾倒しがちだった当時の日本陸軍において、極めて珍しい「国際派のリアリスト」として知られていました。
その後、第7師団長、航空本部長、軍事参議官などを経て、1935(昭和10)年7月に陸軍の教育部門のトップである教育総監に就任。教育総監は陸軍大臣・参謀総長と並ぶ「陸軍三長官」の一つであり、まさに軍の最高中枢に位置するポストでした。