池田大作の証人喚問はなぜ消えたのか?政界を揺るがした攻防の真相
池田大作の証人喚問はなぜ消えたのか?政界を揺るがした攻防の真相の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でご紹介しています。
激しい舌戦の末に行われた「手打ち」の生々しさは、後に当事者たちが残した回顧録に克明に記されています。自民党の実力者として舞台裏で事態の収拾にあたった野中広務氏の手記や証言によると、当時の永田町はまさに一触即発の危機にありました。
野中氏は自著などで、もし池田氏の証人喚問を強行採決していれば、新進党側から自民党有力議員に対する過去の政治献金問題や女性スキャンダル、さらには立正佼成会など自民党を支援する他宗教団体の幹部招致要求が乱れ飛び、「自民党にとっても回復不能な大惨事になっていた」と述懐しています。国会対策の現場では、互いの急所を握り合った者同士の冷徹なチキンレースが繰り広げられていたのです。
さらに注目すべきは、かつて「池田喚問」を最も過激に叫んでいた亀井静香氏自身の変化です。亀井氏は後にメディアのインタビューで、激しい対立の最中にも学会幹部との極秘接触を維持していたことを明かしています。政治の究極の目的は権力の維持と奪取であり、敵を徹底的に殲滅することではありませんでした。
この1995年の死闘を通じて、自民党は創価学会の驚異的な集票力と結束力を骨の髄まで思い知らされ、創価学会側も自民党という国家権力の中枢と対立し続けるリスクを痛感しました。この「恐怖の均衡」こそが、新進党解体後の1999年に誕生する「自公連立政権」への決定的な転換の種となったのです。