朝青龍と朝赤龍の関係は兄弟?実は親戚?明徳義塾時代から続く熱い絆の真相
朝青龍と朝赤龍の関係は兄弟?実は親戚?明徳義塾時代から続く熱い絆の真相の重要なポイントについて、専門知識を取りまとめてご紹介します。
血縁関係がない二人が、実の兄弟以上の強固な絆で結ばれることになった原点は、1997年(平成9年)に遡る高知県・明徳義塾高校への相撲留学でした。この出来事こそが、二人の運命を決定づける歴史的転換点となります。
当時、日本の高校相撲界で強豪として名を馳せていた明徳義塾高校は、国際化と部員強化の一環としてモンゴルからの相撲留学生受け入れを模索。現地ウランバートルで開催された選考会には、レスリングやモンゴル相撲で頭角を現していた屈指の少年たちが集まりました。その熾烈な競争を勝ち抜き、日本への切符を掴んだのが、当時16歳のダグワドルジ(朝青龍)と15歳のダシニャム(朝赤龍)だったのです。
1997年春、海を渡り高知の山深いキャンパスに降り立った二人を待っていたのは、想像を絶する過酷な日々でした。日本語が全く話せない環境下で、日本の厳しい相撲の上下関係、土俵での泥まみれの猛稽古、そして徹底した寮生活の規律に直面します。当時の特番インタビューや手記において、二人は「夜になるとホームシックで二人で泣き明かした」「モンゴル語で励まし合わなければ、初めの3ヶ月で心が折れて逃げ出していたはずだ」と述懐しています。
冬の寒さや食事の違い、言葉の壁という極限状態のなかで、二人は唯一心を許せる同胞として支え合いました。朝青龍の類まれな運動神経と爆発的なスピード、朝赤龍の粘り強く柔軟な足腰は、過酷な稽古を通じて急激に開花。高校総体や選抜大会で明徳義塾の名を一躍全国区へと押し上げました。この過酷な異国生活を通じて育まれた連帯感こそが、後の大相撲界でいかなる逆風が吹こうとも決して揺らぐことのなかった「義兄弟の絆」の根幹です。